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2008年8月26日

友いる4.22

バキューンは、変えた当時1日は己の中で流行っていたのですが
今ふりかえってみるとイマイチなので、またサイト名を変えます。

今度は

多苗尚志の友のいる人生纜 梵天丸

にします。

纜は[ともづな]と読みます。

船と船をつなぐ綱のことで、転じて人と人をむすびつけるつながり、きずなという意味があります。

ぼんてんまるはあまり意味はありません。雰囲気です。

KI名前変更履歴
多苗尚志の友のいる人生→(ドメイン・システム変更)多苗尚志の友のいる人生KI→多苗尚志の友のいる人生K晶("スピードの哲人"清水宣晶がメンテナンスを代行してくれたお礼に。一週間。)[ver.1.1]→超多苗尚志の友のいる人生KI[ver.2.0]→多笛尚志の友のいる人生KI~君だって友という価値観を人生に据えれば多くの笛を拾うかもしれない~[07.07.23ver.2.1]→多笛尚志の友のいる人生KIオーケストラ [07.10.27ver.3.0]→多苗尚志の友のいる人生KIオーケストラ["笛"を変更。07.10.31ver.3.33]→多苗尚志の友のいる人生KIバキューン![08.08.30ver.4.21]→多苗尚志の友のいる人生纜 梵天丸[08.09.03ver.4.22]

[ 気まぐれ更新履歴・多苗近況・ごあいさつ・宣伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 11:23

2008年8月25日

しょうがないので

"鼻くそ拓"岩下拓のうちに泊まった。

奥さんの"シン子"シンヴェンから

「タナエサンが来る日はイツモ雨ネ」と言われた。

[ シンヴェン伝岩下拓伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 23:21

友いる4.21

07.10.23以来になります。
10ヶ月ぶりにブログタイトルを変更します。

弊ブログはpowerd by movable typeでヤッてるわけですが
そのバージョンが3.33から4.21に変わりました。

いやー、最近己もインストールとか面倒になっちゃってね。
んで、またBERKELEYDBやらMYSQLと格闘して
いっとき瀕死のガリア人にまでなってホワイトアウトしつつも
できましたよ、脱皮!!

もう、投稿画面もエラい変わりよう。
なにより、期待しているのが再構築のスピードアップです。

エラい早いらしいです。

なんか三年もブログ続けてると色々ガタも出てきてね。

再構築に3分かかったり、3分かかった挙げ句、エラーが出て更新されないとか
まぁ、水鳥は水面下では足掻きまくりなわけですよ。

スピードがウリの友人のSなんかは
「もうダメだよ。カテゴリが700あるブログなんかどこ見回してもねぇもん。
 プログラムがそんな風には作られてないんだって」
と、まさに医者がサジ投げる状態でしたがそれが6秒になるってんだから
また極端で痛快だね!

これからまたバリバリ征くぞ!

18歳は若返ったね!ワシ。

さっそく、この記事の「保存」をクリックするのが楽しみじゃわい。

そんなこんなで、急遽明日、ウチの周りで祭がおこなわれることになりました。
今、みんな準備に追われてます。おばさんたちはおにぎり握りまくってます。
でも、明日雨かも。

ちゅうわけで

今度の新しいブログ名は

多苗尚志の友のいる人生KIバキューン!

に決定ぃ!!!!

KI名前変更履歴
多苗尚志の友のいる人生→(ドメイン・システム変更)多苗尚志の友のいる人生KI→多苗尚志の友のいる人生K晶("スピードの哲人"清水宣晶がメンテナンスを代行してくれたお礼に。一週間。)[ver.1.1]→超多苗尚志の友のいる人生KI[ver.2.0]→多笛尚志の友のいる人生KI~君だって友という価値観を人生に据えれば多くの笛を拾うかもしれない~[07.07.23ver.2.1]→多笛尚志の友のいる人生KIオーケストラ [07.10.27ver.3.0]→多苗尚志の友のいる人生KIオーケストラ["笛"を変更。07.10.31ver.3.33]→多苗尚志の友のいる人生KIバキューン![08.08.30ver.4.21]

[ 気まぐれ更新履歴・多苗近況・ごあいさつ・宣伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 22:12

2008年8月24日

たむ家

宿泊は"パヒデ"馬場英行と共に"たむい人"田村健三郎の家に。

唯3結婚してないトリオだ。


あいつ一人暮らしなのに2DKだったよ。

こんなでっかい冷蔵庫もあるし。

たむい人は夜中ぢゅう、ずっと「多苗さんに家知られちゃったな~」と言っていた。

一切つっこまなかった。

[ 田村健三郎伝馬場英行伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 19:36

ターチャンランチ第159食

"たむい人"田村健三郎と"パヒデ"馬場英行と大阪だけにお好み焼きを食す。


己は吉牛を喰いたいと言ったのだが退けられた。

もう、先輩の威厳など過去の遺物だ。(実は昔から)

パヒデと一緒に新幹線の駅まで行きながら
ひとりで考え事がしたかったので
別々の新幹線に乗った。
富士山側(業界用語では山側)窓席の指定席をとるために
2本ほどズラしたが己が乗るとやはりモクモク曇ってきて
ついぞみられなかった。

[ 田村健三郎伝馬場英行伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 11:08

2008年8月23日

とのさんと征こうよ

8月に新幹線に乗るというのは「夏休み」を指している。

小学校時分は母方の山口の郷里に毎年新幹線で還っていた。

当時は年に1回の新幹線が相当熱かった。

紙コップで冷水を飲んだり、列車の端から端まで探検してみた。

いつか食堂車で食べたいと思っていた。

だが、大人というものはずっと難しそうな顔をして
スポーツ新聞を読んでいるだけである。

新幹線を探検しなくなった時、大人というものになっちまうんだろうなと思っていたが、
果たしてそうなっちまった。

新大阪まで席を一歩も立たない。

だが、"最強弁士"外木暁幸と共にするなら不動も悪くはない。

己が新幹線に乗ると87%曇りで富士山はまず見えない。

[ 外木暁幸伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 12:32

道は細くなりゆく

東京からバラバラに来たとしても目的地がニッチな場所だから、通るところはひとつしかなくて
結局みんな合流する。

"エンジェルパヒデ"馬場英之
"官僚ミッチー"松浦紀光
"たむい人"田村健三郎

[ 田村健三郎伝馬場英行伝外木暁幸伝松浦紀光伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 11:30

12年ぶりの把握

とりたててクローズアップするところのない侠[おとこ]だった。

メチャクチャいい奴なんだが、どこがどういいのか、ただ、いいとしか説明のできない侠だった。


96年に大学で出会った。

学生証の写真がメチャ笑えた。

まだ互いに童貞だった。

関西弁むきだしで関西ツッコミでバシバシ叩いてきた。

こいつとは友達になれねーと思った。


以来、12年である。

12年の間、回数としてはあまり会っていない。

だが、会った時のことはセリフや表情を今に尚残って覚えている。


存在感はある。

だが、俺をみてくれ系でもなければ
鮮烈で記憶に残るという風でもない。

むしろ、よろしく営業系。

すんません、ホントすんません、松田って言います。よろしくお願いします。
バカも問題なく出来ます。多少技術も持ってますんで、ええ、よろしくお願いします。

腰が低いわけではない。

自己卑下してるわけでもない。

よろしくよろしく言ってる営業マンみたい。


んで、取引先の社長は
「えー?なに?マツダ君て言うの?しょーがないな、じゃお宅で買っちゃおうかな。」

ありがとうございます!みたいな。

そんな奴。


一生懸命は一生懸命だ。

でも、気持ちのイイ...奴でもない

不快感を催す奴でもないが、まぁ己は不快に思うこともあるな。笑。

なんて言ったらいいんだろ。

あいつの良さ。

いいやつは間違いないんだけど。


弊ブログにおいても数々の名ネーミングをしてきたと自負する己が
松田に関しては、
12年のつきあいにも関わらず
"オニイサンオブマツダ"という当たり障りのないネーミングに堕している。

今回、あいさつを預かっている松田の親友の"ケンシロウ"仁藤和良も
同様に悩んでいるようだった。

「マツダなぁ、イイ奴に間違いないんだけど...」

などと己と同じようなことを言っている。

イイ奴はイイ奴だが、イイ奴ということを強調するだけでは片手落ちなのだ松田の場合。


間違いなく傑物である。


だが、なにがと言われて困ってしまう。

仁藤も己も"最強弁士"外木暁幸も、そして彼の現在の会社の同僚も
みんなが奴のことを好いているようだが、パッと出てこない。

そのみんなが好きだというところで腑に落ちた。


みんな、なんだかんだと松田に文句を言いながらも
さながら、中小企業の社長が元気のいい営業に
「しょーがないな」と言いながらも買ってしまうように。
 
 
 
松田は己の親友ではない。

やはり松田の親友は仁藤だろう。

12年の歳月で松田と一緒にいた時間も合計してしまえば意外や短いものかもしれない。

だが、それでも松田は己の人生に色濃くその存在を落としている。

ふとした時に、あいつのことを思い出すと笑えてしまう。

あの必死さ。一生懸命さ。

そしてあいつは、よしんば己が殺人を犯しても己から離れていかないだろう。

擁護にも回らないが、距離を離しもしないだろう。

更にこの先、10年20年、よしんば己があいつと電話もメールもまるで連絡をとらず
20年目にしてふと出会い、そしてその時己がすごい困っていたら
あいつは旧年通り己に一肌脱いでくれるだろう。

友人にはなにかを期待するものではない。

だから、上記のことをしてくれるから友人なのではないし
実際に己が上記のifになったら意外や松田は、おろろ、冷たいかもしれない。
「すまん俺も家族のある身だから」とか言って。

だが、いいんだ。
なによりも
己に現在そう感じさせてくれるということが価値なのだ。

松田能成という侠はそれを感じさせてくれる。

そして己だけではない、この会場に集まっているみんなが松田からそれを感じさせてもらっているのではないか。

"愛される侠"松田能成が"やなっこ"柳瀬恭子と結婚。


みんなが集まり、みんなが「しょーがないな」と言いながら
大輪の笑顔で松田を祝っていた。

すばらしい披露宴だった。

※このエントリをもって柳瀬恭子が友いるKIに入伝しました。

いたしと
"たむい人"田村健三郎
"パヒデ"馬場英行
仁藤ちえみ
仁藤羅冴
"後輩弁護士"K池M登
"軍官ミッチー"松浦紀光
"慇懃商社マン"豊川健太郎
山下くん

仁藤羅冴が成長して走り回っていて好感が持てた。

元気で多少転んだりしても泣かない。

相当イイ。

[ 松田能成伝田村健三郎伝馬場英行伝外木暁幸伝仁藤和良伝仁藤ちえみ伝仁藤羅冴伝K池M登伝松浦紀光伝豊川健太郎伝柳瀬恭子伝山下くん伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 10:13

三次乱舞

3次会で松田の幼馴染みと出会った。

お名前は忘れちゃったけど。

松田の大学の友人が8人程度、30人程度が会社の同僚で
幼馴染みは2人。

そんな中、彼は我々に話し掛けてきた。

そういう気概が嬉しいじゃないですか。

結婚式はこれまでの人生の総集編でたくさんの時代の人が出席してくれるのがいいね。

そして願わくば、それぞれがフラットに交流するのがいいね。

 
 
二次会の乾杯のあいさつは己がやった。

バシッとキメてやったあいさつで己自身もなかなか会心の手応えがあった。

松田の会社の同僚の皆さんからも、
「いや、かなり持ってかれましたわ」
「熱かったです。」「東京モンもやるな、と」
という感想と共にビールが注がれる中、
近くにいた己の後輩の"慇懃商社マン"豊川健太郎に
「昔っからこんな熱い方だったんですか?」と質問が振られたところ
健太郎曰く
「いや、衰えましたね。」

衰えたんかい!

※このエントリをもって松田の幼馴染みの彼が友いるKIに入伝しました。

[ 松田能成伝豊川健太郎伝松田の幼馴染みの彼伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 09:14

2008年8月21日

座葡乾哲

再構築の早さ?

ああフツーフツー。

6秒なんてことはないよ。


東京と茨城を高速バスで往き来している己は東京駅周辺が遊び場になるわけだ。

すると、有楽町でしょう。

"スピードの哲人"清水宣晶と有楽町のラ・ボエムで昼から優雅に赤ワイン。

清水は、品行方正で人との待ち合わせにはけして遅れないパンクチュアルな奴だけど
己との約束だけは遅れる。

逆に、スーダラ無責任で人との待ち合わせにはまず遅れる己が
シミザーとの約束だけは時間前に向かう。

そんな赤ワイン

[ 清水宣晶伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 09:44

カフェリレー

スピードがウリの友人Sと新橋の己のお気に入りのカフェへ

近頃、日本は亜熱帯になったようで、特有のスコールをかきわけながらカフェへ

あと、1,2ブロックというところでドカドカに降られ
「俺を置いていけ」などのドラマが生まれたことは言う必要もない。なかったから。


己のとっておきの隠れ家的場所である。

つぅても、"藍田玉を生ず"五十川藍子に教えてもらったカフェだけど

清水君もそのまた友人に紹介するのだろう。

[ 清水宣晶伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 08:29

多苗尚志のサシ呑みクエスト86 花田智憲

数日前にバッタリ再会した花田智憲と上野でサシ呑み。

29年のつきあいの我々だがサシ呑みは初!


近くにいながら、歩んできた人生がまるで違う。


なにが我々を分けるのだろう。

[ 花田智憲伝多苗尚志のサシ呑みクエスト ] 投稿者ッ ennteiheika : 01:29

2008年8月18日

トァンさんと

同僚のトァンさんと閉店の札が出た居酒屋で無理矢理一杯。

[ トアン伝トゥアン伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 21:38

2008年8月17日

居酒屋あづま

同僚の“ムダにカッコイイ倭”小林勇人と仕事後に一杯呑る。

この一杯やるというのがホントに一杯で終わるあたり渋さを有している。

だが、この店、職場の隣のこの店「居酒屋あづま」の生はメチャうまだ。

店の引き戸から入った瞬間に見える風景が、
座敷でどこぞのオヤジが大の字になって寝ている姿などのシュールさもgood

[ 小林勇人伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 07:32

2008年8月16日

翌日

3人で寝て、朝食を公園で摂って、いよいよ佐々木先生にも授業をしてもらう。

当然くるフリだとは分かっていたようだが、戸惑いは大きい。

[ 谷口正俊伝佐々木孝仁伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 07:25

2008年8月15日

絶極呑み

極まった呑みだった。

絶対に極まった呑みだった。


何年かぶりかあるいは初めてこんな呑みをした。

 
“嬉しい好漢”谷口正俊、“小さくてもピリリと辛い小岩”佐々木孝仁と3人で呑んだ。

遂に佐々木が己の職場の見学に来て、近くの屋外で呑んだ。

佐々木が入口に着いたので迎えに降りるべく屋外へ出た時、
月光がこうこうと己を照らし、その己の影と満月が杯を交わしているのがみえた。

「今日の呑み場はこれで決まりだな」と確信した。

これ以上のバーは全国を見回してもそうそうにみつからないように思われた。

コンビニで酒とつまみを買った。

絶対コンビニでなければならなかった。

どんなにうまい生ビールでも勝てないと思われた。

屋外でこうこうと照らされながら3人、ぷしゅりと缶にヒビを入れた瞬間、
極[き]まって堅[かた]まって時が止まった。


永遠という言葉が存在する。

永遠という言葉はどこか崇高な憧憬の感をもっている。
「真理」だとか「幸福」だとかいった言葉と肩を並べる言葉であるようだ。

だが、大きく誤解されていると思うことは
永遠というものは「永く遠く」「続く」「時間」だと誤解されているのではないかということだ。
そして、生きているうちにはお目にかかれないようなどこかお伽話のような観念だと思われているのではないか。

否定したい。

そうではない。

そもそもが、時間など存在しないのだ。

我々の脳が勝手に解釈しているに過ぎない。


我々は一枚の絵に跳び込んだ冒険者のようなもの。


もともと静止したものの歯車を脳がぐるぐると回転させているに過ぎない。


永遠とは瞬間にのみ存在する。

瞬間に「永くて遠い」遠大さが凝縮されている。

その遠大さは、その次の瞬間に残響音を味わせる。

己は今日の呑みで何度も永遠を知ったよ。


すべてが極[き]まっていた。


谷口と佐々木の口から出てくる言葉、言葉を聞きながら己が目にする風景、
風が吹くのも、缶が倒れて音がするのも、不意に鳴り響くトラックのクラクションも、
月明かりを背後にして伸びゆくおのれが影の長さ、濃さ

すべてが

すべてが一瞬前に分かっている。

すべてが予定の調和。

谷口に質問された佐々木がどういう思考経路でなんと答えるか
そのあと、佐々木が何秒の間をもたせてどういう独り言を吐いてから
どんな質問を切り返すか

すべてが

極上のプロレスのメーンイベントのように。

ここでこうきて、それをかわして、こうキまってくれたら最高なのに!
あッ!そう!そう!やった!

 
何百年もの間、腐らずに我々を魅了してきたオーケストラ演奏のように。

何百年も昔から既に音符の配列は決まっているのに、我々はけして飽きずに
演奏の再現に胸を高ぶらせる。

音符ひとつさえ修正されることはなく、けして修正されてはいけない!
まるで宇宙の共有フォルダに入っているかのように熟知されたものの再現に我々は胸を高ぶらせる。

すべてが


一瞬一瞬がコマ送りのように感じられる。

カチッカチッと一枚ずつ、我々3人の瞬間が絵画となっては消え、またすぐに現れる。

残響音を味わうか味わい終わるかの瞬間でまた永遠。

 
針の穴を通すような特殊な条件が、4つくらい偶然に満たされてしまったような劇的空間。

なにか、己の中にあった、己の中に長い間あった、
動かせずにいていつかまとまった時間がとれた時に、と放置されていた
ほこりをかぶってそのほこりの具合までがインテリアとなってしまった巨[おお]きくて重たい荷物を
今日ようやっと本腰をいれてずりずりと所定の場所へ移すことができたようなそんな感覚をもって

己は今日の呑みに感謝した。

[ 谷口正俊伝佐々木孝仁伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 00:05

2008年8月 7日

佐々木孝仁誕生呑み

“小さくてもピリリと辛い小岩”佐々木孝仁が誕生日を迎えたので
“嬉しい好漢”谷口正俊と共に恵比寿で呑む。

これだけの為にわざわざ茨城から降ってきてやる己は弟想いの相当イイ奴だと思う。

谷口正俊、佐々木孝仁の組み合わせでなぜか恵比寿は縁が深い。

なんかありますよね。

この組み合わせならこの街、この組み合わせならこの街みたいな。

恵比寿なんですよ。

谷口氏は愛娘が元気に生まれたのは、佐々木くんが安産を祈願して恵比寿神社の賽銭箱に
財布ガパ、ドバー(銭湯チケットまで)をしてくれたお陰だと今でも信じている。

祝いますよアンタ。

いいもんだねぇこの呑み。

今回は仕事の話で盛り上がった。

久しぶりに本気の谷口正俊をみた。

彼は

相当ですよ。

本物。

己はカリスマ系の人の惹きつけ方って効かないわけ。

どっかで醒める。

あと、テクニックの使用もすぐ見えてしまう。

いみてーしょん。

でも、彼みたいなリアルで実直な話で静かな超高熱を持ってるタイプってググッともってかれるね。

[ 谷口正俊伝佐々木孝仁伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 09:36

恵比寿くん

件の恵比寿神社へ向かう3人。

今回は佐々木家の安産を願って!

[ 谷口正俊伝佐々木孝仁伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 08:51

奴を喚べ

“独立独歩”郭翔愛を召還!!

久しぶりだ。

4人で呑む。

[ 谷口正俊伝佐々木孝仁伝郭翔愛伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 06:54

やれやれラプソディー

「また呑みましょう」

終電間際、我々4人は恵比寿駅で華々しく散った。

“嬉しい好漢”谷口正俊が己を呼び止める。
「苗ちゃん大丈夫?電車あるの?うちに泊まってもいいんだよ?」

大丈夫ですたい!まだ電車あるったい!

今日は気持ちよく酔った。
 
 
“独立独歩”郭翔愛に電話する。

「電車なくなっちゃったんだけど、泊めてもらってよい?」

「ああ、いいですよ。兄ィ、今どこですか?」

「恵比寿から歩いちょる」

「ボクも結局、終電なかったんで恵比寿からタクシーで来てるんですよ。今どのあたりですか?」

「○○前を歩いてる。」

「まだ全然ですね。じゃあ、家でお待ちしてますんで。」

さっさと泣きついておけば、今頃快適にタクシーやったのに。

妙なところでプライド然として人の好意を断り、結局無様にすがってしまうのが
己の醜いところベシ。

そもそもどこを頼りにしていてどこに泊まろうとしていたのかも忘れてしまった。

歩いて(汗だくになって)“独立独歩”郭翔愛の目黒のウチへ

何年ぶりかの郭宅。

更に缶ビールをあおってお湯をいただいてイビキをかく。

一通りのドタバタで軽く財布を亡くしているがこの時点ではまだ知る由もなし。

明朝、寝ている郭クンを起こしての軽いひと騒動となる。

[ 谷口正俊伝郭翔愛伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 05:59

2008年8月 4日

バッタリ!29

ワシは恵比寿に会社があるけぇ、恵比寿在住のこの人に会ってしまうのよね

[ 辻本祐介伝バッタリ! ] 投稿者ッ ennteiheika : 21:39

2008年8月 2日

かっこいい車

小森章裕のかっこいい車に乗って仕事場から高速バス乗り場まで送ってもらう。

周りからの垂涎のまなざしが心地よい。

[ 小森章裕伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 21:48

みえけっこん

“ミニミニ先生”武藤美枝子、引地太陽の結婚パーティー

美枝子とは97年からのつきあいですよ。

ストンプに燃えた。

おふたりおめでとう。

[ 武藤美枝子伝引地太陽伝 ] 投稿者ッ ennteiheika : 20:36