原陽太郎伝

09.01.25 日曜日

片山宏昭二次会


片山宏昭の結婚式二次会に出席。

知ってる人間はほとんどいなかったが、それよりなにより呼んでいただけたことがウレシイ。

片ちゃん、おめでとう。

奥様のエリさんと末永くお幸せに。


97年よりの数奇な縁、愛おしく思っています。

"豪傑"原田広太郎
原陽太郎

そして登坂真帆に11年ぶりに再会。

この、ギフトはでかい。

※このエントリをもってエリさん、登坂真帆が友いるKIに入伝しました。

投稿者 多苗尚志 : 19:47
[ 原陽太郎伝片山宏昭伝原田広太郎伝登坂真帆伝エリさん伝 ]

08.09.13 土曜日

快男児の結婚

"快男児"村上あらしとみきちゃんの結婚式に出席。


当代随一の快男児もいよいよ結婚だ。


集まる者たちが相変わらずきもちいいくらいに豪傑揃い。

久々の集合で燃えポイントも高かった。

スカッとした秋晴れのような気持ちのイイ結婚式だった。

出席者
増山博幸
アニキ
中野誠
関根玲
"京倭"小林篤
小塚美夏
小林ラン馬
おーちゃん
"小さな巨人"蓮見太郎
原陽太郎
"豪傑"原田広太郎
かなちゃん
あらしのお母さん
あらしのお父さん
村上ますみ

※このエントリをもって増山博幸、アニキ、中野誠、関根玲、小林ラン馬、おーちゃん、
、原田広太郎、かなちゃん、あらしのお母さん、あらしのお父さん、村上ますみが友いるKIに入伝しました。

投稿者 多苗尚志 : 15:04
[ 蓮見太郎伝小林篤伝小塚美夏伝村上あらし伝ミキ伝原陽太郎伝 ]

07.05.26 土曜日

みんなであつまろう

水戸から下北沢へ
下北沢から次は渋谷だ。

“小さな巨人”蓮見太郎主催の集まりがある。

顔を出すだけだが。

でも、5秒でも出さねばなるまい。

“快男児”村上あらし
原陽太郎
天国さんと会う

西村正大と初対。

※このエントリをもって天国さんと西村正大が友いるKIに入伝しました。

投稿者 多苗尚志 : 02:18
[ 蓮見太郎伝村上あらし伝原陽太郎伝天国伝西村正大伝 ]

06.05.14 日曜日

PARASAIYO CUP 2006

遂に当日を迎えた。

1,000人のマラソン大会だぜ!?

すごすぎる。

もちろん改善点はいっぱいある。

しかし、言わせて頂きたい。

今回、PARASAIYOという可能性の凄さを再認した。

この言葉は自分が属している団体に対する身贔屓の意味と
PARASAIYOというシステム(ボランティアである。学生のオナニーではなく、一線の社会人の団体である。参加者に感動レベルを提供している。社会を変えるムーブメントである。)に対する客観性を込めて述べるのだ。


(町が出来ている)(みんな青でちょっと宗教っぽい。笑。)

クラブで1,000人集まるイベントをやるのとは根本的にワケが違う。

その違いは、イベント終了後の感想において顕著である。

クラブイベントおよび9割のイベントと呼ばれるモノは、オーガナイザーと来場者がいて
オーガナイザーが「来てくれてありがとう。」
来場者が「呼んでくれてありがとう」という旧来の二元論体質の域を出ない。

PARASAIYO CUP 2006は「わかちあう感動」をテーマとしている。

ボランティアが頭で考えるものではなく、体験してみないと分からないように
わかちあう感動の概念も頭ではわからない。


わからないのだが、話を続けると、このイベントにおいては来場者がランナーであるからして主役なのだ。

主役には10km20kmのランというある程度のチャレンジが存在している。

それゆえオーガナイザーと来場者が「感動を分かち合ってくれてありがとう」という相互の地平に立つことが可能なのだ。

ここが一番のポイントだ。

来場者が主役となって、ある程度のチャレンジが存在する条件を満たす。
ならば、また別にマラソン大会をやればいいのかというとそうではない。

そこから更にPARASAIYO CUPのバックグラウンドにあるボランティア精神が大きな違いをもつのだ。

クラブイベントでもマラソン大会でもダメなの。

PARASAIYO CUPじゃなきゃダメなの。

まぁ、内部の者がいくら朗々と語っても仕方ないし、長くなるので割愛するが
展開して強く言いたい事は

情報社会における「共有体験」という重要なキーについてだ。

現代はとかく分かった風に成り得過ぎる。

みれば分かるか?
考えれば分かるか?

そんなことはないのだ。

いまや
映像も音もやり方も考え方も成功の仕方もシアワセの成り方も自由の成り方も

感動すらも与えられる事に慣れ過ぎてしまっている。

情報のトレースに過ぎない。

教科書の検証に過ぎない。

「亜鉛を硫酸に入れると水素が発生する」って教科書にあって
そのまんまやって「あ、ホントだ」って楽しいのかよ、それ!

だから、己たちは渇いてるんじゃないか?

だから通勤電車でそんな暗い顔をするんじゃないか?

お前が主役になれ。

感じるんだ。

そして、折角感じても1人で分かってるだけじゃダメなんだ。

大事なのは他人と感じ合うことだ。

だから、家族がいるんだろ?恋人がいるんだろ?

だから友達と生きるんだろ?

同じ日に同じ天気の下、同じコースを走って、同じゴールにたどり着いて。

表現する言葉はみんな違うけれど、でも今日絶対おなじものを感じている。

友のいる人生KIなんか読むな!(じゃ書くな!笑。)己に会いに来い。イベントに来い!

 
己の誘いに応えてPARASAIYO CUP2006に参加してくれた友よ
感動を分かち合ってくれてありがとう。
己の誘いに「いけなくてごめん」って返事をくれた友よ
感動を分かち合う片鱗をありがとう。

あの日あの場にいた友人たち
PARASAIYOメンバー
“静かなる熱血博多男児”豊田庄吾
渡邊とし子
“小さな巨人”蓮見太郎
“カラテカ”鴻池貴光
“スローでハッピーな人間力”高須多明
駒込大祐
古賀大育
“マネジメント天将”千秋毅将
“パヒデ”馬場英行
皆黒友彌
“控えめな一級士”中上俊介
“目覚める高校生”真部達成
“浅黒い魔人”登坂宗太
“魔人の母”・“鉄の女”登坂静子
“独立独歩”郭翔愛
“度胸・愛嬌・高原響”高原響
吉田丈治
坂井直人
“情熱の歌い手”小橋寛子
“さっそうとおおきくかまえてりんとしている”太田沙織
小竹望
原陽太郎
内沼直美
“絶対笑顔”茂木千尋
“CANDY ROCK”神田恵介
“スピードの哲人”清水宣晶
“不可拘束”辰野元信
松村洋祐
出口孝浩
岩下好夫
岩下恭子
岩下かおる
三好美加
関沢光一郎
“淫靡な淑女”有馬友恵
“キダム”貴田真由美
“プニプニピノコ”中野美和
“岩武士”村上武士
“NO LIMIT”喜安克敏
林淳平
山西礼子
松本社長
“ビビリペンギン”武藤貴宏
“ふらふらライター”基太村明子

投稿者 多苗尚志 : 01:31
[ 松村洋祐伝内沼直美伝真部達成伝皆黒友彌伝太田沙織伝基太村明子伝高原響伝小橋寛子伝山西礼子伝三好美加伝茂木千尋伝小竹望伝渡邊とし子伝馬場英行伝神田恵介伝山田陽明伝豊田庄吾伝村上武士伝佐々木孝仁伝中上俊介伝高須多明伝鴻池貴光伝郭翔愛伝松本社長伝喜安克敏伝林淳平伝出口孝浩伝古賀大育伝吉田丈治伝坂井直人伝関沢光一郎伝駒込大祐伝岩下均伝岩下かおる伝岩下好夫伝岩下恭子伝蓮見太郎伝原陽太郎伝清水宣晶伝武藤貴宏伝有馬友恵伝貴田真由美伝千秋毅将伝中野美和伝辰野元信伝登坂宗太伝登坂静子伝PARASIYO伝 ]

99.08.12 木曜日

夏の英雄日

99年夏、多苗大学三年の夏。

“candyrock=”神田恵介が自ブランドのプレゼンテーションを鹿児島の学生たちに熱望された。

当時、彼のプレゼンテーションを全て目に修めていた己は

今回も当然征くということで、ふたりで鹿児島に飛び立った。

当然、旅費などないのでヒッチハイクで征くことになる。

ケイスケにしてみれば人生初のヒッチハイク旅行で己はそれを先導する。

余裕をみて出ていたので広島に差し掛かった時点で、鹿児島まであと1日余裕がある。

どこかに寄っていこうと話が出たとき、己の頭にフッと

“豪傑”原田広太郎の存在が思い浮かんだ。

奴は福岡の出身でもしかしたら帰省しているかもしれない。

帰省しているかもしれない、というが大学生の夏休みだ。長い休み。

だからこのタイミングで奴が還っているかどうかわからないし、海外にいるかもしれなかったが、とにかく電話してみた。

すると、「おぉ!今年の夏はね、みんなでうちの実家にいこうっていうことでみんな集まっとるばい。ひさし、村上玄ちゃんって知ってたっけ?」

「ああ、知ってるよ。広太郎に紹介してもらった。」

「そうそう。」

「己もね、今九州にきとるんよ。」

「おお!」

「熱い友達と一緒でさ、今日寄ってもいいかい?」

「あ、絶対来て!」

福岡に着くと、昼飯をみんなで喰おうということで

広太郎のお父さんのいきつけのイカの刺身がメチャクチャうまい店にみんなで征くことになった。

広太郎のお父さんがまた豪気という気をまとったような人で気持ちのよさそーな人だった。

日本でも有数の菓子屋の社長であった。

長机に広太郎や広太郎のご家族、友達(境界がよくわからんかった。)、ケイスケと己が
並び今からイカをくわんという時に

“快男児”村上あらしと“京倭”小林篤がコンビで現れた。

今まで色々な名コンビをみてきているし、己自身も誰彼と名コンビを組んでいると思うのだが、

この時のふたりの登場はまさに阿形(あぎょう)と、吽形(うんぎょう)2体で一対の
金剛力士仁王像のようなインパクツ!!!

京都からスポーツカーを飛ばして来たというからかっこいいじゃないか。


あらしは全身黒ずくめで現れた。

己は、広太郎とは個人で仲がイイモノのまだ彼の周りの人脈とは溶けていなかったし、
彼の家族もいわんやをやで、いわばアウェーの場だった。

一方、あらしも似たような状況だったと思うのだが、

彼は初対面の者が多い中、広太郎のお父さんから「君は今なにをやってるんだ」と問われこう答えた。

「自分は今、会社をやっています。今のうちに失敗をしたいと思っています。失敗ほど勉強になるものはありませんから。」

圧倒的な第一印象だった。

あつしは確か、灰色のような、特にハッキリとした服装ではなく、特になんの言動が目立ったわけではなかったが、現れた瞬間に「あ。こいつは己と相当近しい仲になれる」と直感した。

あつしもまたあらしとは違った文脈で誰とでも仲良くやれる気持ちのいい倭だった。

結局、熱い倭と美女たち15人くらいが集まったか。

ざっと名前が思い出せるのが
“豪傑”原田広太郎
 村上玄一
“快男児”村上あらし
“京漢”小林篤
 原田陽太郎
“candyrock=”神田恵介

みんなでとんこつラーメンを食べにいったり、
花火戦争をやったり
サルサバーでサルサを踊ったり
広太郎の実家でギターを弾いたりしてつぶれるまで呑んだり…

もうこのメンバーでの再会はない。

99年、一日だけの英雄日だった。

投稿者 多苗尚志 : 19:12
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