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06.03.31 金曜日

多苗尚志のサシ呑みクルセイダーズ9 武山玲子

“玲々たるバンビ”武山玲子とサシ呑み

彼女とは1年半前に“ムーブメント団体”パラサイヨのフィリピンツアーで
出会ったのが初め。

 
ツアーの打ち上げのテーブルで彼女の正面に座ったのだが
彼女はこちらを見向きもせずに隣と話している。

己は己に興味がない人にムカつく小さい器をもっているので
「もう、この子はいい!」と思った。

還りの飛行機で偶然席が隣になった。

己が座っていると
「ここいいですか?」と尋いてきた。

「いいですか?」っつぅかチケットがそうなってんだからさ。

ええ子やと思い直す己。

それから日本までぶっ続けで話し続けた。

己は声が枯れていたので筆談を使って。

この子はメチャクチャ面白い。

彼女としては全然笑わせる気はないのだろうが
その独特のテンポ、言葉回し、お茶目に己はかんらかんら笑わされる。

途中「寝てもいいですか?」と聞いてくるので
15分だけ寝かせてあげるが、あとはぶっ通しで話した。

それからの縁である。

 
彼女は瞳に星が入っている。


家族の愛を一身に受けて育った様子で愛にあふれている。
愛があるかどうかって最重要な分かれ道だ。

自愛
基本、自分を愛しているかどうか。
これは人の魅力として非常に大きいポイントだ。
自分を愛するためになんらかの成功・才能を転用したり、
他人に愛されることを担保にしているうちは本物ではない。
彼女は自分で自分を愛している。

存在感
前に出るタイプではないが、周りを鼓舞する力をもっている。
その力には周りも彼女自身も気づいていないが。

お茶目
俗に彼女は天然と呼ばれるかもしれない。だが、天然というのは決して褒め言葉ではないので
言葉を換える。何度か言及しているが己はお茶目な人というのはすばらしいと思う。
お茶目な人は他人を気にしない。他人と自分を比較しない。
自分の時間で生きている。自分の道を生きている。
まだまだ人の目を気にしてしまう己はそんなお茶目な人々に撃たれるのだ。

物事の受け止め方が前向き
ポジティブシンキングなどという言葉ではおっつかない。
ポジティブでいようと心掛けるということは
その人はポジティブではないということだ。
意識されたポジティブというのは直接的でうるさい。
彼女は非常にたおやかに前向きだ。

控え目
控え目自体は良くも悪くもない。ただ言及するとすれば彼女の控え目は地味ではない。

主体性
彼女の主体性は前に出ていくとかエネルギッシュ!とかのそれではない。
性格は控え目ながら当事者意識は決して忘れず、全体に呼び掛けられたことも
自分の問題と捉える主体性をもっている。

明るい
苦境に立ってもキラキラと笑っていられるような面が見える。

初対面が素晴らしい
彼女が初対面の人と接するところをみるが、
しっかり人の目をみて、しかし、人の話をよく聞く。
自分からは出しゃばらない。自然である。

肯定
なにかが嫌いだとかなにかを認めないという考え方をしない。
否定することはなく「うーん、それはちょっと分からないな」と言うだけである。

バランス
なにかを否定することがないのと同じく、なにかを強烈に肯定・絶賛することもない。
狂信は隙を生む。

自然
よくバランスのとれた彼女は自然である。

強さ
彼女に「強さ」はない。『なんに対しても前向きである強さがある』『どんな苦境でも笑っていられる強さがある』という表現は彼女に合わないのだ。強さは「こわさ」と読める。
強さとは緊縮であり、逆に隙と弱みをみせる。
格闘技の極意は脱力にあると言われる。逆らわない脱力、たおやかさこそが極意である。
彼女の中に強さはない。強さが発揮されるとすればそれは他者に対してである。
他者を鼓舞する時、他者の力となる時はじめて彼女に強さが生まれる。
その強さは強さ自体の弱みをもたず他人にパワーとして転用される。

深い
“正統な異端者”森村隆行に似た深さがある。
彼女は自分から出すということが低いため、
状況や聞き手が彼女の良さを引き出す以外に彼女の深淵に触れることができない。
ただ、その深淵は外に出る。オーラであったり、雰囲気であったり。
なにが面白いというわけではなく、己が笑わされるというのはその深淵の余波に
笑わされているのだと思う。
森村隆行の場合、外見が非常にスタンダードなため更にそのスゴさに気づくことが
困難だが、彼女の場合は器量がいいので皆、良さに気づくことができる。
だが、なにがいいのかはほとんどの人が分からないままであろう。

すばらしい。

国姫(こっき)だ。


投稿者 多苗尚志 : 2006年3月31日 13:38編集
[ 武山玲子伝多苗尚志のサシ呑みクエスト ]

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