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06.04.15 土曜日

友いる論1

ここで友いる論を展開してみる。
そう思ったのは“藍田玉を生ず”五十川藍子とのコーヒーがきっかけ。

special thanks!!!



己は友と生きることを価値としている。

なんでそこに価値を置くようになったかという理由を考えるに
一人っ子として育ち、さみしさを感じる機会が多かった
などが挙がるかもしれないが、定かではない。

どうしてよりも、今そうなんだからその話をしよう。

己の場合、友というのは自分が出会う人全員であり
今会ったばかりの名前も知らない人も友人である。

これは己の場合であるし、
徹底してこれを遂行できているかというとダメな時もあり、
理屈上はそうであり、そうなりたいと思ってところなので
あまり気にせず、一般的に「ああ友人ね」とあいまいに思っていただければいい。

人によって価値観は大きく違うだろう。

なにかを達成すること・自分自身のチャレンジに価値を感じる
人もいるだろうし

困っている人を助けることに価値を感じる人もいるだろう。

そこは多種多様である。

己は今から友と生きることの素晴らしさを訴えたい。

あ、それもいいかもねーと共感して頂いたり、
今までより更に己とのつきあいを深めていただける助けになったらとてもうれしい。


さて

村上春樹さん風に言えば、我々人類は皆、宇宙船に乗って宇宙を旅しているようなものかもしれない。

宇宙船の窓からお互いを覗いてみるが、一部分しかみえないし、互いの中に入り込めはしない。

人類には愛という感情が備わっていて、触れあいたいと思うが触れあえることにも限界がある。

そこにもどかしいさみしさを感じないだろうか。

そういうもんよ、で終わりかナァ。

その人に触れたいとかもっと知りたいと思うことは愛である。

小さな窓から相手をうかがい知ることしかできないが
己はもっと多くの人をより深く愛したいし、愛されたい。

この人生という宇宙を共に旅している友たちを愛おしく思う。

投稿者 多苗尚志 : 2006年4月15日 00:13編集
[ 友いる随想 ]

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