« たかお | メイン | 旅団旅行 »

06.07.23 日曜日

パラづいている理由

弊ブログで、多苗尚志の人生を追ってくださっている
ありがたーい読者様々は、最近、多苗がパラづいていることにお気づきだろう。

パラづいている→パラサイヨづいている。

パラサイヨとは、フィリピンの孤児院を支援する団体である。

NPOでもNGOでもなくサークルという方が正確だろう。

変動もあるが主に夏に孤児院を訪ね、子供たちと触れあう。
それを基点とし、そこからまた来夏までの一年間、
主にイベントを企画することで収益をあげ、それを寄付金として集めていく。

そんなサイクルでサークルとしては今年6年目。

己は参加して3年目。

そのパラサイヨという団体に対し、己がコミット(積極参加)する理由に
今になってまたひとつ気づいたのでそれをここに記したい。

 
現在、パラサイヨで主力に動いているのは60人強。

60人それぞれの参加理由は、いくつかに分類できるだろうが、
当然、みんな参加動機は違う。

己の参加動機を記す。

己がパラサイヨに参加している理由は、
パラサイヨがまさに友いる人生の体現だから。

企業・会社という装置は素晴らしいと思う。

毎日、顔を合わせる上に、同じ目標に向かうことが出来るからだ。

もしも!

もしもだ。

弊ブログ、左の偏執的友人網羅のカテゴリをご覧いただくとお分かりいただけるだろうが
己には336人の友人がいる。

この336人で、ひとつの会社にいられたら己はどんなにシアワセだろう。

なんのストレスもない。

高校時代「多苗は学校に来ることでストレスを解消している」と言われたあの伝説が蘇るだろう。

だが、それは現実には、いや想像するだけでも無理な話だ。

己の友人には社長が何人もいるから。

夢をもった友人が何人もいるから。

それぞれやりたいことはパラバラだ。

だから、会社という装置には限界がある。

みんながみんな飲食をやりたいわけではない。
みんながみんな芸能をやりたいわけではない。
みんながみんなコンサルをやりたいわけではない。

どうしてもやはり間口が狭くなる。

そこでパラサイヨだ。

パラサイヨは、職業だけみても、
物書き、ファイナンシャルプランナー、教師、フリーター、
ニート、学生、不動産会社社長、システムエンジニア、商社マン、金融、旅行会社、
広告代理店、建築事務所、ベンチャーキャピタル、ホームページデザイナー、
マーケティングプランナー、テーマパーク、都庁職員、飲食店経営、多苗尚志etcと様々だ。

あいつもこいつも集まってさぁ!

英雄鍋ですよ!

なぜ、みんなが集まることが可能か。

ボランティアだから。

ボランティアは飲食が出来なくてもいいんだよ。
芸能が出来なくてもコンサルが出来なくてもいい。

究極

あなたがいるだけで、それで誰かの役に立つんだよ。

敷居が低い、間口が広い。

嗚呼、あいつもこいつもいるってなんてステキだろう。

敷居が低ければ人は集まる。
しかし、集まったら今度はその集まりを持続させなければならない。

持続させるには目標が必要だ。

目標は、集まった人間のタイプを同質化させる。

目標はなんでもいい。

金を稼ぐことでもいいし
個人の成長でもいいし
集まること自体が目標でもいい。

だが、繰り返しになるが目標と間口は相互関係にある。

目標が先鋭化されていれば、間口が狭くなる。

例えば、先物取引で100億円の売上を目指そう!
であれば先物に興味のない人間は集まらない。

間口が広ければ、目標が曖昧になる。

例えば、誰でも集まってイイよ。能力なんて関係ないよ。
であれば、みんなの関心もバラバラで目標が曖昧になり、集合の持続が難しくなる。

己はこの両方が欲しいのだ。
バラエティに富んだ人間が継続的につながっていられる集合が望みだ。

この両方は両立し得ないのか?

ボランティアならば両立しうる。


だが、それならば他のボランティア団体でも
いいではないかという指摘に回答できない。

明らかにパラサイヨのノリ、構成員が好きだから己はここにいる。

ノリや特定のタイプの構成員が集まる理由についてはまだ考察しきれていないが、
ボランティアというものの大きな特性は注目に値する。

ボランティア活動を通すならば友いる人生が現実的に機能するのだ。

投稿者 多苗尚志 : 2006年7月23日 13:17編集
[ PARASIYO伝 ]

この記事のURL: