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08.01.05 土曜日

河岸を変えて

“夢プロデューサー”和田清かと河岸を変えて呑む。

彼女との第2章が始まった気がする。

さやかと己は友達になり直したのだ。

今回のサシ呑みは稀有な機会であった。


つまり、彼女は、人とサシで接するという機会がこれまでなかったことに加え

“黄炎社長”森田英一の妻であり、二児の母であるのだ。

森田氏に許可をもらい、子供の面倒もみてもらうことで
今回のサシ呑みは成立している。

ある程度仲がいいことと更にその一歩奥へいっていることはやはりハッキリと違うものだ。

さやかと共通の知人である“光速の自由人”清水宣晶を引き合いに出して考えてみよう。

さやかとはある程度仲が良い。
晶とはその一歩奥へいっている。

ふたりに対し、己自身の対応がどう違うかというと「胸の開き方」が違う。

仲がいい人に対して、己は極めて受動的である。

相手の話を聞くだけ。
自分のことは質問されない限り一切話さない。

これまで無意識だったが最近、ハッキリと認識する。

一方、晶に対しては聞かれてもいないのに
自分のことをベラベラと話し出す。

己は誤解と無理解を恐れているのだろう。

会話には表面的会話というものが存在する。

表面的会話における質問は、質問者自身本当に聞きたいと思っていないあいさつ的なものだ。

しかし、質問は質問の形をしているので
答える方にとって、結構ウェイトの大きな質問である場合がある。

これは悲劇だ。

具体的にいうと
「多苗は人に誕生日を教えないのはなんで?」
というのを表面的会話で質問してきたとする。

質問者は軽い気持ちでしているが
己にとってこの質問はとても大きなもので
この回答だけで、ブログの一記事が書けるくらいのものになる。

しかし、それを己が1から熱心に答えても
質問者は「え?『気分』とかって答えてくれリャいいのに、なに語っちゃってんの?」
ということになる。

己は質問されたら(温度をみつつ)答えることにしているが
これを「己ってさー、誕生日に関してね…」と自分から胸を開いて語った場合、
無理解や誤解が生まれるし、相手にとっても迷惑なだけだ。

まぁ、それも程度問題で
一切自分の話をしない己というのは極端だとは自分でも思うものの
現在の己はそうなっている。

相手が胸を開いた時には己も開く。

相手が開いた程度に合わせてね。


さやかと己は今回、真正面から対峙し胸を開いてみたのだ。


感極まった呑みだった。

投稿者 多苗尚志 : 2008年1月 5日 18:35編集
[ 和田清か伝 ]

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