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99.08.12 木曜日

夏の英雄日

99年夏、多苗大学三年の夏。

“candyrock=”神田恵介が自ブランドのプレゼンテーションを鹿児島の学生たちに熱望された。

当時、彼のプレゼンテーションを全て目に修めていた己は

今回も当然征くということで、ふたりで鹿児島に飛び立った。

当然、旅費などないのでヒッチハイクで征くことになる。

ケイスケにしてみれば人生初のヒッチハイク旅行で己はそれを先導する。

余裕をみて出ていたので広島に差し掛かった時点で、鹿児島まであと1日余裕がある。

どこかに寄っていこうと話が出たとき、己の頭にフッと

“豪傑”原田広太郎の存在が思い浮かんだ。

奴は福岡の出身でもしかしたら帰省しているかもしれない。

帰省しているかもしれない、というが大学生の夏休みだ。長い休み。

だからこのタイミングで奴が還っているかどうかわからないし、海外にいるかもしれなかったが、とにかく電話してみた。

すると、「おぉ!今年の夏はね、みんなでうちの実家にいこうっていうことでみんな集まっとるばい。ひさし、村上玄ちゃんって知ってたっけ?」

「ああ、知ってるよ。広太郎に紹介してもらった。」

「そうそう。」

「己もね、今九州にきとるんよ。」

「おお!」

「熱い友達と一緒でさ、今日寄ってもいいかい?」

「あ、絶対来て!」

福岡に着くと、昼飯をみんなで喰おうということで

広太郎のお父さんのいきつけのイカの刺身がメチャクチャうまい店にみんなで征くことになった。

広太郎のお父さんがまた豪気という気をまとったような人で気持ちのよさそーな人だった。

日本でも有数の菓子屋の社長であった。

長机に広太郎や広太郎のご家族、友達(境界がよくわからんかった。)、ケイスケと己が
並び今からイカをくわんという時に

“快男児”村上あらしと“京倭”小林篤がコンビで現れた。

今まで色々な名コンビをみてきているし、己自身も誰彼と名コンビを組んでいると思うのだが、

この時のふたりの登場はまさに阿形(あぎょう)と、吽形(うんぎょう)2体で一対の
金剛力士仁王像のようなインパクツ!!!

京都からスポーツカーを飛ばして来たというからかっこいいじゃないか。


あらしは全身黒ずくめで現れた。

己は、広太郎とは個人で仲がイイモノのまだ彼の周りの人脈とは溶けていなかったし、
彼の家族もいわんやをやで、いわばアウェーの場だった。

一方、あらしも似たような状況だったと思うのだが、

彼は初対面の者が多い中、広太郎のお父さんから「君は今なにをやってるんだ」と問われこう答えた。

「自分は今、会社をやっています。今のうちに失敗をしたいと思っています。失敗ほど勉強になるものはありませんから。」

圧倒的な第一印象だった。

あつしは確か、灰色のような、特にハッキリとした服装ではなく、特になんの言動が目立ったわけではなかったが、現れた瞬間に「あ。こいつは己と相当近しい仲になれる」と直感した。

あつしもまたあらしとは違った文脈で誰とでも仲良くやれる気持ちのいい倭だった。

結局、熱い倭と美女たち15人くらいが集まったか。

ざっと名前が思い出せるのが
“豪傑”原田広太郎
 村上玄一
“快男児”村上あらし
“京漢”小林篤
 原田陽太郎
“candyrock=”神田恵介

みんなでとんこつラーメンを食べにいったり、
花火戦争をやったり
サルサバーでサルサを踊ったり
広太郎の実家でギターを弾いたりしてつぶれるまで呑んだり…

もうこのメンバーでの再会はない。

99年、一日だけの英雄日だった。

投稿者 多苗尚志 : 1999年8月12日 19:12編集
[ 神田恵介伝小林篤伝村上あらし伝原陽太郎伝縁~出会いの物語 ]

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