多苗尚志の気づき
            04.06
            リアルリアルリアル。まぁ、やるだけです。
             
            ■己は流行とはねじれの位置に立っているというか、流行に疎いというか。
            今頃、「花の慶次」や「ドラゴンクエスト〜ダイの大冒険」を読んで涙を流している。
            しかし、自分のそんな部分が好きだ。
            感動すらも流行していると思わないか?
            流行は消費である。
            例えば「世界の中心で愛を叫ぶ」が100万部を越えるベストセラー!!として喧伝されている。
            100万部を越えるベストセラーって何が言いたいのか。
            裏読みしてしまう。
            (日本人の心理に作用して)みんなも読んでるからあなたも!
            もうあなたは読みましたか?この感動を見逃すな!
            感動を逃すってなんだよ。
            この作品がブックオフに溢れるようになってしまった頃、それを手にすることがなんか気恥ずかしい感じがするのはなぜだろう。
            今更「世界の中心で〜」かよ。
            感動に今更もなにもないだろう。
            今更「シェイクスピア」かよって言うか?
            (リアルタイム、時代性という観点もあるがそれはまた別の話)
            04.06.23
            ■十歳も年下の奴と話していて感じられるのは
            思想の伝播が早いということだ。
            思想といっても、この場合は哲学的に練り上げられるものではなく、時代背景的なそれだ。
            学生起業家が多くなってきているのもこのせいだと思う。
            己が大学を卒業するくらいに、それまでベンチャーベンチャーと口うるさくいわれていたのが
            ようやく地に足ついた議論を迎え、実際に起業する者も増えてきた。
            それをみてきた己には、起業というものは大きく3つのステップが必要だという感覚があるわけだ。
            つまり、1.ベンチャーだ!と騒いでから、2.いや待てよ起業すればいいってもんじゃないぞと慎重になってから
            3.いやしかしやってみないとなにも分からない。と言って起業する。
            この感覚は錯覚と呼んでいいものかもしれない。
            今の大学生、更に高校生はいきなり3を踏むのだ。
            オジサンタチヲアザワラウカノヤウニ
            まぁ、この感覚は当然己達のオジサンたちも感じてきたことであろうが。
            04.06.21
            ■ジャッキー・チェンの映画とブルース・リーの映画だったらどっちが好きですか?
            己は、小学校の頃、友達がジャッキーってカンフーが強いんだって聞いていてワクワクしていた。
            そのワクワクはふくらみ、実際に観たのはしばらくしてから。
            金曜ロードショーのスパルタンXが初めてだったか。
            己はそれを観てがっかりしてしまった。
            ジャッキーは敗けるんだね。
            己は敗けないブルース・リーが好き。
            これについては友人と話していても大いに意見が分かれるところ。
            ちなみに己はブルース・リーの作品は全部観てる。死亡の塔だろうがグリーン・ホーネットだろうが。
            04.06.21
            ■右脳とか左脳とかうるせぇよ。
            そんなんいちいち気にするかよ。
            無意識に両方使えよ。
            04.06.17
            ■他人の人生、他人を羨むことがなくなった。
            どんな派手な人生も、どんなお金持ちも、どんなになにがデキるという人もそれは素晴らしい。己には関係ない。
            己は己の人生を楽しんで生きる。
            04.06.14
            ■“人間の最大の幸福は与えることである。”
            “人生でもっとも大事なことはなにか?それは死ぬまでにどれだけの人をシアワセにできたかだ”
            最近のライフブームな言葉だ。
            こういった言葉を立ち読んだ本・友達の口から聞くことが重なる。
            今の己は以上の言葉を全然理解できない。
            しかし、概念としてそんなのもあるのだなとこの時期にストック。
            04.06.14
            ■仲間が鬱になって、文字通り家から出てこず連絡も取れなかった。
            彼は三年に一回くらいこういうことがある。
            三年前、己は無理矢理彼を引きずり出して荒れ狂うカラオケの一夜を繰り広げた。
            メチャクチャ楽しかったが、その後効果的に彼が回復したかというと否だった。
            むしろ、自分が楽しんでいた部分の方があったのではないか。
            結局、自分を救うのは自分でしかない。
            仲間は彼を信じて見守っていることが大事なのだ。
            見守るというのは放置ではない。
            常に彼に気を配り、もちろん彼が「みんなと歌いてぇなぁ」などとこぼすものなら瞬間で組織する。
            日常生活で使用する気の何割かを彼に常に預けている感じ。
            果たして彼は自力で復活した。
            04.06.11
            ■五年(?)ぶりくらいにメタリカのブラックアルバムを聴いている。
            メチャクチャかっこいい。
            Loadなんか割と最近のものはたまに聴いていたがブラックアルバムはジャケットにまるで特徴がないせいかずっと忘れていたのだ。
            うれしい忘れ物だった。
            今聴いてもかっこいいというのはうれしいことだ。
            04.06.11
            ■以前は、人間としても面白くねぇ年下の奴にタメ口利かれてなんだかなぁという感じだった。
            最近はナマ利くが、実際面白いので許せる年下が増えてきている。
            いいことだ。
            己の特性は「タメ口利く年下とはつきあいたくないが、面白い年下ならそれもよし」と
            条件付きのものに変化してきた。
            ま、なんつぅの?己が若返ってるってことでもあるしな。
            04.06.04
            ■出掛ける前に自転車が欲しいなぁとつぶやいた。
            夜、ルームメイトが自転車をパクっている現場に居合わせた。
            新しい自転車が手に入った。
            名前はアイアン・ジェームス。鉄鉄しています。
            04.06.01