多苗尚志の気づき
            04.07
            己は己を肯定する旅に出る
             
            ■ルームメイトの女の子ふたりを連れて行った馬場のカレー屋にて久々に挑戦された。
            この店、20円で☆ひとつ辛くできるのだが
            五つ辛くしようとしたら
            女性の店員が「お客さんの様子から察しますに絶対やめておいた方がイイと思います」と
            ぬかしやがった。
            どこを察してるんだ。
            どこを察してるんだオネーチャン。
            華麗ストのワタクシにそんな挑戦を申しやがるのですか?
            連れの女の子は「あー、たなえくーん(挑戦されたよー)」といい感じに盛り立ててくれる。さすがだ。
            己は静かに「五つでお願いします。」
            「五つに耐えられたお客さんはまだいないんですけど…」
            きれいな女性だと思っていたが今は君は敵だ。
            「このアマ、誰を相手にぬかしくさる」…とは言わない。
            本当に強い者は騒ぎたてず結果だけをお魅せする。
            己はテーブルに肘をつき組んだ両手にアゴを乗せ、目線を合わせず静かに繰り返す。
            「五つでお願いします。」
            店サイドは店サイドで「またやれやれなお客さんが来たワ」とオーダーを持っていく。
            コックは「赤ッ恥かかせてやったらええねん!」と6つ星くらいの辛さにしてやらむといきりたつ。
            Fight it out!!
            もちろん、たいらげてやった。
            ふん、汗もすくなめでしてよ。
            すると店員は「えー食べちゃったんですかぁ。おなか壊しませんかねぇ。」とおっしゃる。
            これはよくない。
            勝敗のカタルシスが存在しないじゃない。
            「五つ星を!!ホントに!…ええ!?お客さんが初めてですよ!」
            くらいのリアクションができれば繁盛店だ。
            04.07.29
            ■なんにもしたくない。
            このままゆっくりと腐っていったって別にいい。
            でも、前進した方がイイのだろうか。
            前進するために
            最悪、こうなりたくはないという最低最悪の執着を探してみる。
            そこから次の一手がみえそうだから。
            このパソコンに入ってるデータが亡くなったら嫌か。
            マンガのコレクションが亡くなったら嫌か。
            そんなもんどーでもいい。
            周りから多苗君ももう終わりだねとかどこが最強無敵なんだよぉと言われることが嫌か。
            それもどーでもいい。
            死にたくないか。死んでもいい。
            家族や友人が死んだら嫌か。嫌だけど泣いて終わりだろう。
            まるで執着がない。
            そして口だけで頭だけで考えている自分に気づく。
            リアルじゃない。
            すると体験が必要だ。
            体験を必要としなければ気づくことが出来ないなんて業が深いと思う。
            分かるということを口だけではなく、リアリティをもってわかりたいと欲していた己だが
            それは今にして思えば業の深い道のように思う。
            04.07.29
            ■繰り返してしまう失敗というものがある。
            そのひとつに聞いた話で理解した気になってしまうということ。
            ■もうひとつに、その派生であるが、
            ひとりの人間から聞いた話で、Aがこんなことを言っていたよと聞き、Aを責めてしまうこと。
            これはもしもその話が正確なものだったとしてもやってはいけない姿勢である。
            3人くらいから聞いたならやってもいいだろうか。
            いや、もしかすると100人から聞いてもダメかもしれない。
            自分がそこに居合わせた場合のみに限定した方が健康的なのだ。
            04.07.26
            ■つくづく己はあとお金だけだ。
            04.07.24
            ■周りは己を肯定してくれる。
            しかし、今の己は己を肯定出来ない。
            これは恥ずかしくつらいことだ。い
            己は己を肯定する旅に出る。
            04.07.20
            ■昔、大感動して聞いたある人の講演をCDで再度聞く機会をもった。
            その講演はまさしく己が聞いた回の講演だった。
            今の己はその講演に対して既に響きと感動が低く鈍化していることに気づいた。
            あのとき泣いたシーンではもう泣けない。
            しかし、考えてみれば己は当時、既に違和感を感じていたのだ。
            1mgの違和感を感じながらも全体的に素晴らしいから自分をだまして感動に酔っていた。
            今はその1mgの違和感を見逃さない。
            すると逆に改めて大きく響くところもあった。
            己はその人の講演を新しく味わった。
            04.07.20
            ■シアワセを達成したのはいつ頃だろうか。
            ちょうど去年の冬くらいだろうか。
            なにがきっかけでというよりも
            色々なことが重なってそれを感じる機会が何度も訪れたという言い方が正確であるように思う。
            己のシアワセは友達と一緒にいること、友達と時間を過ごすこと、友達と歴史を築くことだったから
            意外と簡単に達成できた。
            シアワセがなんであるかわからないうちはそれが達成されることは難しいだろう。
            しかし、いったん仮設されイメージされれば、そう難しくはないことだ。
            己は「人はシアワセになるために生きている」のだという実感を強くした。
            シアワセは今も続いている。
            しかし、最近異変に気づく。
            天国の退屈だ。
            人がシアワセになるために生きているのならば
            シアワセを達成した己の人生はハッピーエンドのままスタッフロールを迎えて幕を閉じればいい。
            だが、己の人生は終わらない。
            己は生き続けている。
            人はシアワセになるために生きているのではなかった。
            己の第二幕がはじまる。
            04.07.20
            ■最近、強く感じることは「飽和」である。
            自分の思考に対しても行動に対しても人間関係に対しても飽和を強く感じる。
            新しいことをしなければならない。
            04.07.20
            ■己が今求めているものは、多苗流のリアリズムだ。
            世界に散らばる事象から己に響くものをチョイス。
            04.07.20
            ■複数人がうなずいていたら
            複数人が共感していたら
            それをまず警報のしるしとせよ。
            流されていないか?
            自分も本当に響いてるのか?
            1mgの違和感を尊べ。
            04.07.20
            ■なにを伝えたいですか?
            講演会をやるとしたらどんなテーマで話をしたいですか?
            ついこないだまでなにもなかったけれど
            やっと生まれた。
            それは「自分で考えることのススメ」だ。
            04.07.20